3、西岡の位置と土地のようす

(1)西岡の位置

 わたしたちの住んでいる西岡は、札幌市豊平区にあります。
 昭和四十六年、札幌市が政令指定都市(せいれいしていとし)となって区制をしいたとき、中央、東、西、南、北、白石、豊平の七区が誕生しました。
 その後、手稲区と厚別区ができ現在九つの区がありますが、その中で豊平区は、札幌市の南東部(ぶ)の位置にあります。
 西岡は、その豊平区の南西部にあり、北には、月寒、平岸、東には、福住。羊ケ丘、有明、西は、南区澄川、南は真駒内に接し東西約一キロメートル、南北六キロメートルの細長い土地です。
 この土地をたてに西岡水源池まで道路が走り、月寒方面へつながり、横には、地下鉄澄川駅へとつながって、札幌の中心部へ行くことができます。
 西岡は、昭和五十三年から、条、丁目で住所がいわれるようになりました。澄川の方から一条目、二丁目となってきています。
 さらに、昭和五十八年十一月から住宅の番号も入れられ、その場所がすぐわかるようになってきています。
 みなのかよっている西岡小学校は、札幌市豊平区西岡二条九丁目一番一号という住所です。


(2)土地のようす

 西岡は、月寒、羊ケ丘とともに樽前山(たるまえざん)や恵庭岳(えにわだけ)などが噴火(ふんか)して火山灰かざんばい)が何メートルもつもった「月寒台地(つきさむだいち)」にあります。
 「月寒台地」は南に向かうほど、だんだん高くなり、やがて山の形を作って、支笏湖(しこつこ)の方までつづきます。
 西岡を流れる川には、澄川より低い低いところに流れる望月寒川(もつきさむがわ)、西岡八幡宮の裏側に流れる月寒川があります。それぞれの川は、白石区を流れ、豊平川にそそいでいます。
 西岡はもと、木や草が山火事などで何回も焼けたところから、「焼山(やけやま)」と呼ばれていましたが、明治四十二年西山とあらため、昭和十九年に西岡と変えられました。
 大正の末から、昭和の初めにかけて果樹や野菜の生産地になっていましたが、昭和三十九年ごろから、これらのものが、だんだん姿をけし、昭和四十七年、札幌冬季オリンピックが開かれたことによって、道路が整備(せいび)され、住宅地として急速に開けていきました。